悪ノ化身 プロローグ

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花。

沢山の花が咲いている。
ふんわりと漂う甘い香り、などというものではない。色も形もバラバラな花たちの香りは、その場に人がいれば全員が鼻を抑えてしまうほどにむせ返っていた。

だがそんな空間にたった一人。ぽつりと横たわっている人間がいる。

花弁に顔も身体も何もかも埋もれ、おそらくうつ伏せに倒れているであろうその背丈から、かろうじて男だとわかるが、それ以外は何も見えない。死体に間違えられても仕方ないほど静かに横たわっている男。

 

もぞり。

頭が動いた。次に指先がぴくぴくと痙攣する。

…しばらくして、肩と首が少し揺れ、頭が持ち上がった。色が抜け落ちたような顔色だ。
真っ白い肌とは対象的な男の黒髪から、ひらり、はらり、花弁が落ちる。

「……」

髪から鼻頭へ、鼻頭から地面へ滑る花弁の香りに男は表情をぴくりと動かす。

「葉、木、空、太陽」

男の視界は沢山の木々、そして目が痛くなるほどの光でいっぱいだ。ざわざわとざわめく木立と、その隙間から己を淡く照らす木漏れ日に反射的に目を細め、口々に目に入ったものを
だが男は何を思うでもなくその景色を目に移しているだけだ。

男の頭の中はいつまでたっても真っ白だった。

やけに動きの鈍い身体を起き上がらせ、頭を微かに振った男は、手のひらに触れる白い花弁の感触を確かめる。

「花」

まるで一種の棺桶のように男を囲っている花が、風に吹かれて音を立てた。
何も考えてはいないが、所狭しと咲く花々をあまり踏まぬようにと、男の足はまるでそれが当たり前だというように勝手に、丁寧にそろりそろりと動く。

「地面、…」

次第に真っ白だった男の頭に霞がかったようなものが浮かび上がってくる。だが考えることもなくそのままぼーっとしていれば、その霞もあっという間に消えていった。

きっと普通の人間ならば、今の今まで見ていたような気がする夢のような、もう思い出せない感覚に眉を顰めるだろう。何だか長い夢を見ていた気がする、と。

だが誰しもが内容など覚えていないように男も覚えておらず。むしろ男は思い出そうとすら考えることもなかったが、ただ花弁から顔を上げた。
ひたすら無表情をつらぬく男の頬を、優しく風が撫でていく。

「これは風だ…。だが…」

空を見上げる。花の隙間をぬって地を踏みしめる。ぽつりと零れ落ちた言葉は風にかき消されていった。

「だが俺は…何だ…?」

そう、文字通り男の頭の中は真っ白。

いま視界に入っているもの以外はわからないほど何もかもが抜け落ちていたのだった。

 

***

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