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悪ノ化身 6

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今まで傍観を決め込んでいた彼の縄を持つ手が止まったとき、男はカッとなった表情から一変、ようやくか、と歪んだ笑みを浮かべた。

 

男を捕らえるその黒い瞳は、相変わらず何を考えているかわからない色だったが、男を注意深く上から下まで観察している。

 

人間ならば殺さない。

二人が散々言っていた言葉だ。
だが魔物ならば?ヴァンの中で答えは明白だった。男もその答えを知っていて言ったのだろう。

 

しかし肝心の男は誰がどこをどう見ても人間だった。
長い耳もそういう種族なのだといわれれば誰もが納得するだろうし、それだけで魔物だなどと決める人間はこの世界のどこにもいない。

だが確かに人型の魔物は存在する。今までヴァンもヴィルヴァーレもそのような魔物を相手にした事があり、そのものたちの大抵は相当上手く擬態する能力があるのか、よほど高度な知能がある元々人間の姿かたちに似ているのかのどちらかだった。

はて、とヴァンはもう一度男の足先から頭のてっぺんまでじっくりと視線を往復させる。

やはりどこをどう見ても人間だ。見た目だけで判断できなくとも会話や雰囲気、行動の節々で魔物かどうかは判断できる。
若干会話が無い立たないことがあるが、感情も知能もある男に、ヴァンは目を細めて考え込んだ。

 

魔物にしては雰囲気が・・・元々怒りっぽい人間もいるし・・・いや今までの出会った雰囲気のどの魔物とも違うだけで、自分が知らないタイプなのかもしれない・・・。ヴァンには判別がつかなかったのだ。

だがもしこれで男の言葉通り、本当に魔物なら話は違う。ヴァンはヴィルヴァーレに指示を仰ごうと男から視線を外した。

 

わからないときはヴィルヴァーレだ。

 

そう判断して口を開いたヴァンだったが、彼はそのまま声を出すことは無かった。見つめた先の表情に、指示を仰ぐまでも無いことに気づいたのだ。

のど元まで出掛かっていた問いを飲み込むと、ヴァンは縄をまとめるのを再開した。

 

「ほ~。ま、だとしても今ここで改心するなら私は手を下さんぞ。」

「今まで殺した奴らのことを聞かせてやろうか・・・!」

「悪趣味だな、知らん!さっさと吐いて帰りたまえ!」

 

そして、全く意に介さないといった風な笑顔のままでしっしと手を払うヴィルヴァーレに習って男に対して早くしろと視線で促した。

 

その光景を見た男は言わずもがな、ますます怒りに震えた。怒気をはらむその表情は限界まで歪められていた。嫌悪感を隠すことも無く拳を握り締めた男の足が、力むあまり床を軋ませる。

 

もはや冷静さを取り戻そうとすら思わなかった。
帰れといわれて帰るつもりもないが、それよりも明らかに害悪である存在をみすみす逃すとは一体どういうことなのか。聖職者ならば人を殺さないということもまだ理解できたが、魔物であると言ってもそうしないのは何事か。―その先の理由を考えて吐き気がした。

 

人を殺したというのに知らぬと言ったヴィルヴァーレとそれに異論を唱えないヴァンに向けられる禍々しい殺気が男の心情を伝える。

 

「これが仕事だったらまあ退治したんだがな~。」

「ふざけるな!!」

「ふざけてないさ。」

 

殺気を放たれ、声を荒げられ、それでも笑顔を崩さないヴィルヴァーレは男を冷静に見つめていた。魔法を再び放たれれば手に持った大剣で切るつもりはあった。致命傷に至らないように気をつけなければならないが、ヴィルヴァーレにとってそれはさしたる問題ではなかった。問題はこの男をどうやって、二度と自分たちに関わらないようにさせるか。それが一番重要だった。

 

男が勇者を探している理由ぐらいヴィルヴァーレは知っている。ヴァンは全然気にかけてもいないし、考えようとも思っていないが、彼はわかっていた。ヴァンが狙われる理由もわかりきっている。

 

「君が気になっているのはこれだろう。」

 

掲げられた大剣が窓辺から差し込む光を受けて輝く。
この大剣が全ての理由だった。男がヴァンを襲った理由はこれで説明がつく。

 

「そう・・・そうだ・・・・。」

「だがヴァンは答えられないし私も君が望む答えを持っていない。」

「嘘を吐くな!!」

 

血を吐くような怒号だった。声帯が焼け切れるのではないかとさえ思うほどの憎しみが男の喉を振るわせる。

 

「貴様は勇者を知っている!!!」

 

憎悪に視界が歪む。思考が全て憎しみに注ぎ込まれる。怒りを込めすぎて震える指先がヴァンを指し示した。
指一つで人を突き殺しそうな雰囲気の男に、しかしヴァンは一切動揺しないまま男を見返す。

 

「一応聞くが、君はヴァンのことを知っているのかね?答えられるのならば教えてくれたまえ。」

「知るか!!だが!それは聖剣!!勇者が持っていたものだ!」

 

重い溜息が吐かれる。やれやれと言った風にかぶりを振るヴィルヴァーレと、男の問いに目を細めるヴァンを尻目に、男は視界に映る黄金の大剣―かつて勇者が手にしていた聖剣を睨む。

聖剣を通して、憎みきっても憎みきれない顔が男の頭に浮かび上がる。憎憎しげに輝く黄金が記憶を揺さぶる。

 

おぞましかった。

誰もがうっとりと眺めたくなるほど見事な黄金と装飾の施された聖剣は、魔性の存在であれば鬱陶しくて目障りで仕方の無いものだが、この男にとってはそれだけに留まらないほど憎く嫌悪するものでしかない。

思い浮かびあがった勇者の顔に吐き気をもよおしながらもヴァンを視線で射る。何を言われても薄い反応だ。能面のような顔で何の感慨もなく自分を見返すその表情がことさら神経を逆撫でする。

 

「これを持っていながらも無関係だと言い張るか?それか贋物だとでも偽るか?」

「そうだな、これは聖剣だ。」

 

あっさりと認めたヴァン。少しは否定してほしかったんだがなぁ、とヴィルヴァーレが呆れそうになったとき、男の体が動いた。

 

 

「ならば貴様は勇者と繋がりがある!!!」

 

 

咄嗟にヴィルヴァーレが男の腕を掴む。だがしかし、男の腕はすでにヴァンに届いていた。

「ぐっ!」

鈍い音が響いた。息苦しさに眉を潜める。床に叩きつけられた体に、自分の意思に関係なく肺の中の空気が一気に吐き出される感覚。

 

「離せ。折るぞ。」

 

思わずヴァンが咳き込もうとしてもそれ以上息が吐かれることはなく。

気づけば天井を仰ぎ見ていたヴァンの視界に、睨みあうヴィルヴァーレと男がいた。白い首に食い込む男の指が、その言葉に益々ヴァンの気道を塞ぐ。首の筋が切れそうな、それ以上いくと骨まで折れそうな力だ。

 

「その前にこの男の首を折ろうか。」

 

今にもへし折りそうな勢いで掴んでいたヴィルヴァーレから一瞬力が抜ける。だが男の指が段々と力を増しているのを見て、すぐに掴みなおした。

 

「殺してどうする。後悔するのは君だぞ。」

「オレの腕一本とコイツの首一つなら安い対価だ。」

 

気道と血管が締め上げられ塞がっていく感覚に、二人の会話が耳をすり抜けていく。ヴァンは自身の耳に届くギリギリという音が、首を絞めらたものなのかそれともヴィルヴァーレによって掴まれた男の腕の骨からのものなのか判別がつかなかった。

ドク、ドク、と空回りする脈拍を鼓膜に感じながら、いつもより大きく聞こえる心拍数に人間が窒息死するまでの時間はどれぐらいだっただろうか、とぼんやりと考えた。

 

―とある医学書に、人体や生物についての急所論。実際に人を殺した男の手記など、沢山の本の知識が思い出される。どれもこれも書かれていた時間に大差はないし、首を絞められて何故人間が死ぬのかという理論にも差違はなかった。

 

「抵抗ぐらいしたまえヴァン!あっ、いや駄目だ!首は動かすな!!」

「っ、っ・・・!」

「賢明な判断だな。それにコイツがオレの問いに答えればいいだけの話だ。」

 

ヴィルヴァーレの言葉に反応しかけて、すぐに動きを止める。焦ったように声を上げたヴィルヴァーレを男は鼻で笑った。
男はヴァンを押し倒した際に抵抗されないように対策は取ってある。上半身にのしかかり、両腕は足で挟んで封じてあった。

 

それだけなら力の差でどうにか抵抗できるだろうが、ヴィルヴァーレが危惧しているのはそこではなかった。

今のヴァンは全体重とありったけの力を込められて首を絞められている。これでは抵抗しようにもどうしようもできなかった。
ここで男の与える力の方向に反して体を起こそうと首を込めればたちどころにその骨は折れるだろう。それに抵抗をする前に男が宣言どおり折るはずだ。

 

酸素と血流が不足した頭でヴァンはどうするべきかを考え、止めた。

 

ヴィルヴァーレが止めろといったら止めておいたほうがいい。

それに本気でこの状況を止めるならば、方法は無いことは無いが目の前の男を殺すしかなくなる。あとやはり自分の首が折れるので、それはヴィルヴァーレが望まないだろう。それに男は答えればいいといった。果たして男が望む以外の答えに納得するのだろうか。

散々酒場で正直に答えたのに未だ首を締め上げてまで問い上げてくる男が、そうすんなりと行くはずがないのだが、血と酸素が足らない頭ではそんなことなど考えなかったようだ。

 

よし、止めよう。

 

心の中でそう決めた瞬間、ピクリとも動かず、更にはうんともすんとも言わずに全く動かなくなったヴァンにヴィルヴァーレは焦った。首を絞められても反応が鈍いままなのが余計に彼を焦らせた。どんなときでもへらへらとしている彼の額に冷や汗が流れる。

 

痙攣まではしていないものの、生理的反応で呼吸を求めあけられっぱなしのヴァンの口からは唾液が流れ、その顔面は元々肌が白いせいかよりいっそう蒼白になっている。にもかかわらずその表情は眉間に少し皺が寄った程度で、恐怖だとか困惑だとか、逆境を跳ね除けようとする反抗心さえ見出せない。

 

「このッ、本当に、やめろ!!ヴァン!しっかりしたまえ!」

「ああ、憎い、憎いぞ・・・!!」

 

激しい怒りと憎しみを真っ直ぐにぶつけながら、男は噛み締めるように言葉を口にする。憎い勇者の顔はまだ消えない。ヴァンと勇者を重ね合わせているのか、激情の渦中に落ちた男の耳にヴィルヴァーレの制止は届かなかった。

みるみる内に男の指先から黒い靄が溢れてくる。酒場でヴァンの顔面に食らわしたのと全く同じ力が指先にこもっていた。感情に呼応するようにくすぶり始めたそれに、ヴァンの皮膚がひりつく。

 

「答えろ!奴はいまどこにいる!!」

「それじゃあ答えられるわけないッ!!その手を緩めるんだ!!」

 

男の叫喚とヴィルヴァーレの怒なり声が家に響いた。
一呼吸して、ヴァンは咳き込む。一気に肺に入ってきた空気に反射的に何度も咳が出て、ゼェゼェと気管が音を立てた。
息苦しさが倍になったが、男の手は緩められ、辛うじて呼吸が出来るようになったのだ。霞がかっていた思考と視界が徐々にはっきりしていき、脳に血が巡るのを感じて瞬きする。

息を荒げ、とまっていた血流が一気に巡ってきたのか赤くなった顔に少しだけ安心したヴィルヴァーレが、視線だけを合わせてぐっと眉を寄せて、口を歪める。

 

「・・・ヴァン、いわんこっちゃないだろう」

「お、前に危害がないなら、別に・・・うっゲホ!ゴホッ!!」

「私はよくない!」

 

暫く咳き込むその体をすぐにでも起こして背中をさすりたい気持ちでいっぱいだったが、未だ男の腕は首に添えられたままだ。ヴィルヴァーレの怒号で漸く冷静さを取り戻したのか、黒い靄はなりを潜め、力も随分と弱められているが、頚動脈も気道もしっかりと捉えられている。

身にしみているのか、冷静さを欠いても急所は外さないらしく、寧ろ殺すことに徹底した男にヴィルヴァーレはどうして少しでも早く反応して止められなかったのだろうと唇を噛んだ。注意していたはずなのに、この男にヴァンをどうこう出来るわけがないと思っていたし、ヴァンも反応できるだろうと油断してしまっていた。

怒りにとらわれ忘れ、逸脱した執着を勇者に見せている男の様子に油断するべきではなかったのだ。

 

ヴィルヴァーレの後悔を余所に、暫くして受け答えができるくらいには呼吸が整った様子のヴァンを男は見下す。

 

「勇者の居場所を言え。そして聖剣をオレに渡せ。・・・さもなくばこのまま貴様を縊り殺し奪うだけだ。」

「もう殺しかけられた。」

「・・・・・・・減らず口は叩かないほうがいいぞ。」

 

思わず手加減を忘れそうになるのを、すんでで堪える。
奥歯を噛み締めて鬼気迫る表情を浮かべた男と対称的に、危うく窒息死しかけたにも関わらず淡々としているヴァンはそれでもなおマイペースだった。

 

コイツ、バカだ。余裕ぶっているわけでなくこれが素なら相当頭が悪い。いや、気持ちが悪いほど普通の反応をしていない。

 

そこまで考えた男は、ふいに違和感に気づく。
―普通の反応じゃない。引っかかった考えは、しかしヴィルヴァーレの声にかき消された。

 

「随分優しいんだなぁ?」

 

ここまでしておいて、という言葉が聞こえてくるような声色で、へらりと笑ったヴィルヴァーレの目を、男は歪んだ笑みで睨みつける。

 

「貴様らがオレに嘘偽りなく答え、聖剣を渡しせば見逃してやる。・・・やつらを殺せさえすればオレはどうでもいい・・・。」

 

最後の言葉は小さな呟きだった。
上から降ってきた声を受け止め、ヴァンはヴィルヴァーレをじっと見つめる。
言葉は無いが、どうする?という彼の淡々とした声が聞こえてくるようだった。こんな状況にも関わらず、その問う視線に不穏な雰囲気は全く無い。子どものように純粋にどうすればいいのか聞いてくる目に、ヴィルヴァーレは大きな溜息を吐くしかなかった。

 

「わかった・・・だがその前にもう一つ聞きたい。勇者以外に誰を殺そうというんだ?」

 

項垂れかけた様子で頷いたヴィルヴァーレに、観念したのかと一瞬歓喜の色を見せた男の表情が、すぐに真剣なものに変わる。

 

「決まっている。魔王だ。」

 

即答した男に今度こそヴィルヴァーレは完全に項垂れた。

 

「・・・3年前に消えたものと死んだものを殺すとはいったいどういうことかな?」

「死んだ?ッく、・・・ははは・・・・」

 

愉快そうに喉を鳴らす。だがしかしその目は一切笑っていなかった。
くつくつと笑い声を上げながらも、口を歪めて赤い目を爛々とさせる男の顔は、酷く忌々しそうだった。

ヴァンは3年前の大戦についての出版物を思い出しながら、ヴィルヴァーレの言葉に頷く。本に書かれているだけじゃない、誰もが口を揃えて言うことだ。

 

魔王は死んだ、と。

 

「傷が疼く!呪いの声が聞こえる!オレはやつに作られた存在・・・ゆえに否応無くわかるのだ・・・その存在を二度と感じたくなくても!この身に刻まれた奴の呪いが教えてくる!」

 

だからその言葉を真っ向から否定するこの男が信じられなかった。

 

「やつは蘇ったとな!」

 

ひたすら笑ったあとに自身を睨みつける男が。憎しみに歪み、すぐに激情し我を忘れる男が、本や周りの人間のように正しいとは思えなかった。狂人の類ではないのかと判断しかかった。

それでも、真っ直ぐに自身を貫くその決意は本物だろうことが伺えて、男の言葉を受け続けた。

 

「必ずや勇者と魔王をこの手で葬るッ!そのために貴様に聞いているのだ!」

「・・・・。」

「言え!!!勇者はどこにいる!!」

 

 

だがやはり、その言葉に対する答えは、変わらないのだ。

 

「知らない。」

 

男の顔が絶望に歪み、そしてすぐに怒り、憎しみ、軽蔑の色に次々と飲まれていく様子を、ヴァンは見ることしか出来なかった。そしてもう何も言うまいという風にぐっと首を絞めてきたその顔を、ただじっと見つめた。

 

「嘘じゃない。」

 

気丈に勇者を庇っているように見えたのだろう。侮蔑を含んだ視線と我慢ならないと殺しにかかってきた男を、ヴィルヴァーレが止める。

 

「もし勇者と関係があったとしても、知らないんだ」

 

だって知らないものは知らないのだ。

 

「ヴァンは記憶喪失だからな。」

聞きたいのは寧ろこっちだ、と。
そう言ったヴィルヴァーレに、男の腕が滑り落ちる。

 

静まり返った家の中で、ヴァンの軽く咳き込む音だけが響いていた。

 

***

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