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悪ノ化身 7

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男は歩いていた。
鉄の仮面でも貼り付けているかというような無表情で、その実、心の中では憔悴しきっりながら、先ほどまでいた家を背に、一人。今までと同じように。これからも同じように。

男は歩み続けるのだろう。

かつての己を苦しめた魔王と、そして生涯の宿敵である勇者を見つけるその日まで。
その背に、鈍く光る聖剣と、それに似たもう一対の大剣を背負いながら。

アルケ村のちょうど真ん中。
猪にでも追突されたふうに外の柵が壊された民家と、その正面でものの見事に入り口が損壊している酒場-アレグリア-を2階にある自室から見下ろすヴァン。
窓辺にある本棚に腰をかけ、大きなアルバムを片手に外を見るその視線は、少し前まで騒いでいた男が去って行った方向に向けられていた。

「聖剣、ほんっとーにあの男に渡してよかったのか?」

ぼーっとしたその肩を叩かれても、ヴァンの視線が動くことはない。
ヴィルヴァーレはこちらを向かないまま「ああ。」と答えたヴァンに溜息を吐くと、その隣に腰を下ろした。本棚が少し軋んだが気にしない。窓をはさんでヴァンの横顔を見る。青痣が出来た頬に、切れた唇。喉元に残ったいくつもの鬱血痕が痛々しい。
ヴィルヴァーレは、一発でも殴っておけばよかったと、今頃、絶望と希望でない交ぜになりなりながらも村を出ているだろう男の顔を思い浮かべた。

***

あれから暫く、男はヴァンの言葉に相当な衝撃を受けたのか死んだのではないかというほど反応を返さなかった。
無論、生きてはいるし、彼の口からは絶えず言葉が発せられていたのだが。その言葉も全てヴァンとヴィルヴァーレに向けられたものというより、自身の思考を垂れ流しにしている呟きのようなものだった。

記憶が無い。本当か?嘘を吐いているんじゃないか?・・・そうだ、嘘だ、嘘に決まっている!いやだが・・・こんなところまできて・・・馬鹿な・・・・・。
そうぶつぶつと呟きながら腕をだらりとたらすその様子にヴィルヴァーレは面倒くさそうに頭を掻く。すでに拘束の意味さえなしていない両足を身をよじりながらのけ、あっけなくヴァンが男の下から這い出られるぐらいに、男は混乱していた。

「意気消沈って感じだな!それより大丈夫か?何も出来なくてすまなかった・・・。喉は?背中は?ああ・・・また手当てしないとな、これは酷いぞ。苦しかっただろう・・・。」

心配性。立ち上がったヴァンの怪我の具合を確かめるヴィルヴァーレに、ヴァンは頭の中でその言葉を引っ張り出す。へらへらしているが今回のことに相当心を痛めているのだろう。ヴァンは琥珀色の目をじっと見つめて、ヴィルヴァーレの心情を推し量った。

ヴァンとしては、どうしてそこまで自分を心配するのだろうかとも思ったが、自分だってヴィルヴァーレが誰かに首を絞められたりしていれば(全く持ってこの筋骨隆々とした大男がそれより大きい体格のものにのしかかられ首を折られそうになるところなど彼の脳では想像できなかったが)いい気分はしないだろう。

「もう平気だ。痛みがあるだけで死ぬわけじゃない。それにヴィルは止めてくれただろ。・・・・だからいいって言ってるだろ。そんな顔されてもどうしようもない。」

へらっと、しかし未だ引きずった様子のヴィルヴァーレにとりあえずデコピンを食らわせたヴァンは、いつも彼が浮かべている笑みを思い出して、真似てみる。
満面とはいかない、ぎこちなく、そしてあまりにも微かすぎる口角の上がり具合に、常人ならば無表情にしか全く見えないのだがそれでも相棒であるヴィルヴァーレには分かったらしい。

珍しく、それこそ年に数回しか見せられることのないその笑みに、ヴィルヴァーレは後悔は消えないものの今度こそいつも通りに笑った。彼の笑顔が単なる真似事だと理解はしていても、他人を宥めよう、誰かを思いやろうと自発的に行動するその心持ちが嬉しかったのだ。
と、ここでようやくヴァンが男の方に話を戻す。
二人の間には穏やかな雰囲気が流れていたが、一方の男はそれとは正反対のまま、床に座り込んでいるのだ。
ヴァンは、自身を助けようとする際に床に落とされた聖剣を手に取る。ずしりと重みが加わる。いつも腰のベルトにぶら下げ、3年間決して抜くことのなかったその大剣を翻して、ヴィルヴァーレに問いかける。

「それより、俺はこんなもの別にいらないんだが。伝承によれば魔王が復活したのなら勇者もまた出てくるんだろ。いるのだかわからない神とやらか、この聖剣に選ばれる人間が。だったらいつまでも手元に置いておかずにこの男に渡しておいたほうがいいんじゃないか。」

聖剣が項垂れる男を指し示す。
困ったことになったな、とヴィルヴァーレは自身の後ろ髪を撫で付けた。
ヴァンの言うことは誰も彼もが知っていることだ。伝承に記され、そしてこの世界の成り立ちからずっと繰り返されてきた魔王と勇者の戦いはそこら辺りで走り回っている幼子でさえ空で言える。

だが今回は今までのどの戦いとも違って、新しい魔王が台頭するまでの周期が短すぎる(本来ならば大体100~200年に一度あるかないかといったところだ)し、何より現れたのは前回倒されたはずの魔王。
しかも肝心の勇者が消えたあとならば、未だこの聖剣の持ち主は前回の勇者のままである。勇者以外の誰しもが使えないわけでは、ないのだが。

「渡すにしてもだ。彼の言うことが本当なら、魔王が復活したのに勇者も殺すって者においそれと渡すのはどうかと思うぞ~?」

「オレは勇者も魔王も両方殺す・・・!」

「そうか。なら持っていけ。」

「こらこらこら!」

会話は聞いていたのか床を見つめながらも声を絞り出した男に、あっさりと聖剣を渡そうとするのを慌てて止める。
いつもなら自分の決めたことを第一にするヴァンがこうして他人の言うことに行動を左右されるのは今まで一度たりともなかったのに、一体どうしたことだろうか。ヴィルヴァーレはその理由に思い当たって困ったように眉を下げながら、物事の重大さを気にしようとしないヴァンから聖剣を取り上げた。

「聖剣は勇者しか使えないんだって、ヴァンくん。聞いてるかね?この男じゃあ魔王は倒せないじゃないか。―あと、一応言っておくがこの男が勇者になる可能性はないぞ。」

勇者になるのは人間だけである。ヴァンは男が魔物だったことを思い出して、ふむ、と腕組みをして考えようとした。が、すぐに自身を襲う衝撃に思考が引っ張られる。

「それより貴様だ!貴様ァ!ばかものが!何故忘れたのだ!!!そんな話があってたまるものかァッ!」

「覚えていないものはしかたないだろう。忘れた理由も思い出せないしどうしようもない。」

鬼の形相でヴァンの肩を掴んで揺さぶる男が吼える。やけくそのように叫びながら怒りを込めて揺さぶるものの、当の本人はぐわんぐわんと揺れながら悪びれも無く喋る。

「そういえばお前、名前は何ていうんだ。俺の名前はヴァン。この村で何でも屋をやっているんだが。」

「バカか貴様は!魔物に名などあるものか!」

「ちなみにお前が持っていた剣にはジークという文字が刻まれていたんだが、アレがお前の名前か。当たっているな?よろしく。」

「・・・・!!」

絶句する男―ジークの揺さぶる腕が止まったことをいいことに、ヴァンはその手からするりと抜け出してヴィルヴァーレの元に行く。掴まれた肩をパッパと払うヴィルヴァーレの表情は少し複雑そうだった。
相棒が完全にマイペースを貫いている。いつものことではあるが、いつもとは違う貫き方に不安を覚えた。ヴァンが聖剣を完全にジークに渡す算段であることを勘付いてしまったヴィルヴァーレの非難の視線に、しかしヴァンは一切取り合うことなく、聖剣を見つめる。

そのかたわら。今の今まで言葉を失っていたジークは、久しぶりに呼ばれた自分の名前と、魔物の名前など気にしたヴァンに思いっきり眉を顰めていた。いかにも理解が出来ないといったようだ。実際、ジークは理解できなかった。

並大抵の神経ならば魔物などひとくくりにして恐れるだろう。恐怖、畏怖、嫌悪、侮蔑、嘲笑、怒り―とにもかくにも負の感情を抱かれることしかない存在だ。

魔境に取り付かれた人間ならまだしも、相手はどうみても正常な人間。狂気も感じられない。悪逆を尽くした己を見逃すといったことは、まともな神経をしていないとは思ったが。しかも一度殺されかけたのにも関わらず、平然と会話をしてくる始末だ。特に首を絞めたことに対する文句もなければ(彼の相棒はそうはいかなかったが)、反撃もしてこない。色々と行動がおかしい。

―記憶喪失。ものの道理も知らぬほど記憶を失っているのだろうか。

ジークは背後にいる二人を振り返った。子どものように聖剣の奪い合いをしている。かの憎い勇者もここまで私物をぞんざいに扱われるなど思わなかっただろう。身長を活かしてヴァンの手の届かないところにその黄金を持ち上げふらふらさせるヴィルヴァーレとその腕を下げさせようとしているヴァンに、ジークは顔をしかめた。

戦闘能力からしても、聖剣を持っていることからしても、勇者と無関係ではないことは確かだ。一目見たとき、この男は確実に自分が望む答えを持っていると思った。

今まで嘘偽りで繁栄を気づき、やれ先の大戦で勇者とともに戦っただとか、やれ勇者と親交があるからこの町は守られているとか、それならまだしも勇者の名を盾に大きな顔をして幅を利かせ、好き勝手に生きている薄汚れた人間、もしくはそれに扮した魔物としか出会ってこなかったジークは、やっとの手がかりに希望さえ覚えたのに。

喜んで手を伸ばした(実際には激情にかられ我を忘れ暴走の果てに、その希望さえ殺そうとしたことは置いておこう。)ところで、掴んでその感触を確かめかけたところで、一瞬にして霞のように消え去ってしまった。

虚偽ならば問答無用で殺してしまったが、いや殺そうとしたのだが。

二人は嘘を吐いていない。完全に彼の勘だが、冷静になった今ならわかる。嘘をついている者の目をしていない。―ヴァンの目は何を考えているかよくはわからないが。

ならば―これから先どうするのか。ジークは少しの間、険しい表情で黙り込んだあと、未だ聖剣を取り返せないヴァンに声をかける。

「貴様が記憶を失ったのはいつだ。」

「2年と11ヶ月と3週間前。約3年前だ。アルバムに記録してあるが見てみるか。」

「ちょうど奴らが戦い終わったあとか・・・。何か思い出したことは。」

飛んで聖剣を掴もうとするのを肩を抑えられて防がれながら、ヴァンはテーブルに置かれた鞄を指差したが、その中身が暴かれることはなかった。
それよりも気にかかることを問い詰め、自身の考えに決定打をもたらそうと彼の言葉を無視して話を進めるジーク。その様子にジークがこれから何を言おうとしているのか察したヴィルヴァーレが、勘弁してくれといった風に目を細めて笑う。

「なーんにも。青年よ、何もかも諦めたまえ。私とヴァンは2年ほど世界中を旅して回ったが、その間にヴァンが少しでも記憶を取り戻すこともなければ、君が望む勇者と出会うこともなかったんだぞ~。勿論、この村に来て1年経っても何一つとして思い出すことはない。・・・変なこと考える前に帰ってくれたまえ。」

「魔法や医療行為を試したことはあるのか。世界中の端から端まで回ったとでも言うのか?たった3年で何がわかる。」

「あっはっはっは!ヴァン、ほら見たことか、変なこと考え出したぞ彼。厄介なことになる前にさっさとお帰りいただこう!そらのいたのいた~」

退けと言いつつヴァンを自身の後ろに隠す。巨体の向こうに消えた黒髪に、だがジークは一歩も食い下がらない。先ほどまで意気消沈していたくせに燃え上がるような赤い目でヴァンを睨むその姿に、ヴィルヴァーレは不敵に口角を上げた。

「誰も彼もが探し回っても見つからなかった。君は絶対に勇者を見つけることはできんぞ。」

「だがオレは見つける!」

怯まずに叫んだジークの唇が、そして、と言葉を続ける。
笑みを引っ込めて苦々しくそれを見つめるヴィルヴァーレの、その後ろを指差した男がヴァンに向かって叫ぶ。雰囲気が変わった二人について行けず大人しく待機していたヴァンは、突然聞こえたけたたましい声にヴィルヴァーレの背中から顔を出した。

「思い出さなければ思い出させるまでだ!おい貴様、記憶を取り戻してやる。オレについてこい!」

突きつけられた指先を見て、一言。

「断る。」

そう言ったヴァンに、ヴィルヴァーレはにっこり笑って頷く。

「な」

断られるとは思っていなかったのだろうか。
ヴァンの答えがわかりきっていたヴィルヴァーレと対称的に、ジークの指先がわなわなと震える。最早彼の性格をわかっていたヴィルヴァーレは、怒号が上がる前に口を開く。
断る理由なんて沢山あった。というかこの男は、自身がどのように見られているのかわかっているのだろうか。

「帰れ。なに、人にものを頼む態度とかそういうもの以前の問題だぞ。まず私たちはこの村に住んでいる。君には君の目的があるように、私たちには私たちの理由がある。生活がある。全てをなげうって君についていったとして、ヴァンに何かいいことがあるのか?何よりも、だが。―ヴァンに記憶を取り戻すつもりはない。」

一呼吸。

「不都合なことも沢山あるぞ!君はヴァンを傷つけたしこれからも傷つけるだろう、いまだってそうだ。気に食わないことがあれば怒鳴る、思い通りにさせようとする、まるで子どものような君に私が快くいいぞ!よし連れてってくれたまえ!・・・なーんて言うと思うのかねまったく。いい加減にして欲しいなァ。」

「なら・・・何のために旅をしていた・・・」

「君にそれを言う必要があるのならば言ったが、そうじゃあないからな~!」

正論に正論を重ねた完全なる正論。
呆然とするジークに刺さるヴァンの当然だろうという眼差し。一つ一つ丁寧に言って欲しいならもっと言いたいことは沢山あるヴィルヴァーレを、動揺しながらも見返すジークはそれでも、と自分の目的を第一に返答する。

「だがそれがどうした!拒否は認めん、貴様は連れて行く。たとえ手足をもごうとな!生きていればどうとでもなる!」

「ヴァン、こういう輩のいうことは絶対に聞いちゃだめだぞ。それから、それを聞いて尚更いってらっしゃいなんて言えないぞ!ほんと乱暴だなァ君は!」

「手足をもいだ場合、俺の生命を維持するために食事、排泄、睡眠その他全ての面倒を見れるようには見えないしな。お前、介護経験はあるのか?」

言い合う二人の間に割ってはいるヴァンだったが、そうして口を開いた彼の目に映ったのはまるで出来の悪い手のかかる子どもを見るような生暖かい笑顔と、真っ向から馬鹿がと書かれた顔だった。

「すまんこういう子なんだ!君みたいな切れやすいタイプにはまともに会話できんだろうそうだろう!諦めたまえ!」

「流石に俺も手足をもがれたら困るしな、これやるからヴィルのいう通り帰れ。」

あ!とヴィルヴァーレが声を上げたときには、ヴァンはその手から聖剣を奪ってジークに押し付けた後だった。胸元に押し付けられた聖剣を咄嗟に受け取ったジークの赤い目をヴァンは真っ直ぐ見つめる。そして未だ諦めた雰囲気はない男の気力を一気に殺ぐ言葉を告げた。

「他に理由が必要なら答えよう。命が惜しい。魔王が復活しようがどうでもいい。勇者が死のうが世界がどうなろうが俺は自分に被害がなければどうでもいい。お前が人殺しであることもどうでもいい。お前が何を言おうと俺の感情が揺さぶられることはない。」

おおよそ、何でも屋とうたって人助けをしている男の発言ではなかった。

「全部興味もなければ、顔も名も知らないものが死んだってどうでもいいだろ。」

口元をゆがめて笑いかける、その酷く歪んだ目に、ジークの顔色が変わる。
ヴィルヴァーレはただ無言でヴァンの言葉を聞いていた。

「俺が人を殺さないのはな、ヴィルがそれを望まないからだ。俺が人を助けるのもそうだ。お前を殺さないのもそう。まあ、お前がそこまで言うならついて言ってもいいが、」

「黙れ・・・・」

「なんだ、正直ヴィルが駄目駄目言うからお前についていって人を殺すってことを体験してみてもよかったんだけどな。記憶があるうちじゃ人なんて殺したことないし、お前、こいつのようにお人よしってたちじゃないだろ。」

「黙れ!!」

「それにそれで記憶が戻るかも―ッ!」

続きの言葉は破裂音にかき消された。顔を上げたヴァンの口端から血が垂れる。思い切り殴られた―よろめいた足を戻そうとしたヴァンが、自身を殴ったジークの顔を見て、もう一度笑った姿に、ジークは勢いよくその頬を掴んでつのる怒りを吐き出した。

「もういい。べらべらと薄汚い口を開くな。―貴様のような屑が息をするだけで気分が悪くなる。」

乱暴に突き放されたヴァンの肩をヴィルヴァーレが支えた頃には、ジークは聖剣を手に玄関へと向かっていった。ちらりと二人を一瞥したその目は侮蔑と怒りに塗れ、寧ろよく我を忘れずにいられたなと感心したくなるほどの憎悪を燃え上がらせ、光っている。

「最初に言ったことは守る、殺しはしない。いや・・・貴様など相手にするだけで我が剣が腐る。聖剣は貰った。これさえあればどうでもいい。」

「・・・ふっ」

「黙れといったのが分からなかったか?二度は言わんぞ。オレは行く。・・・だが、いつまでそう他人事だと尻尾を巻いて逃げていられるか。魔王は蘇った。」

愉快そうに息を漏らしたヴァンを貫く赤。はたからみても分かるほど力を込めて聖剣の柄を握り締め、怒気をはらませた低い声で、男はその場を後にする。

「終焉はすぐそこだ。」

***

そうしてその場に残ったヴァンとヴィルヴァーレは、今こうして窓辺に座り込んで男の去った方向に目を向けていた。

「案外嘘はばれないものなんだな。言動が一貫していなくても上手くいった。」

「・・・へったくそだったぞ。」

頬をさするヴァンを叱る気にもならないヴィルヴァーレは、一言だけそう言うと本日二度目の薬箱を開ける。
そう、あのような激情型の男にしか通用しない手だった。貼り付けたような笑顔に、淡々とした声。全く持って目は笑っていなかったし、本来のヴァンを知るものなら大笑いしたかどこか頭をぶつけたのかと心配するようなほどの盛大な嘘。

半透明の緑色の薬を唇と首に塗られながら、今日は散々怪我をしたと呟くヴァンが、またどこかの誰かの笑い顔を真似して、下手糞に笑う。

本当のことを2割。残りの8割は一度も思ったことのない嘘だった。

だがその言葉は今こうして彼の目の前で眉尻を下げて情けない表情を浮かべる男を傷つけたかもしれないし、実際傷ついているのがありありと分かる悲しい顔にヴァンは自身の相棒を酷く傷つけたなと自身の発言を反省した。
ヴィルヴァーレが傷つく本当の理由など理解できないにも関わらず、そうして理解したと勝手に思い込む。そうして、自身が傷つくことによって彼が苦しんでいることなど一切わかっておらず、そういえば渡すなと言われた聖剣も渡したし怒っていそうだなと暢気なことを考える。

笑ってごまかせるとは思っていないが、こういうとき真似事をすればヴィルヴァーレは笑い返してくれると思って笑ってみたヴァン。しかしヴィルヴァーレの表情は変わらない。

「やはり私が・・・」

何でも物事をはっきりというヴィルヴァーレが言いよどむ様子に、ヴァンは彼の表情が晴れないもう一つの理由に気づき、(といっても殆どの理由が自分の怪我であることには気づけない)無表情に戻る。

「ヴィルヴァーレ。あれは俺の記憶を取り戻すわけでもないただのガラクタだ。そしてお前にも必要のないものだ。ジークが勇者を探し魔王を殺すというのならば俺たちが行く必要はない。俺は間違っているか。」

「・・・」

「他人事・・・その通りだ。俺は忘れすぎた。だが魔王が復活した今、もう一度旅に出る必要はない。勇者は現れる。」

会話の内容の全てを口にすることが出来るこの3年間と、その中の2年の旅路を思い出しながら、ヴァンは切れた唇を動かす。

「俺よりお前だ。行くな。」

無表情で淡々と言うヴァン。彼は再度、真剣な眼差しで繰り返した。

「わざわざ傷つきになんて、行くんじゃない。」

2年前の旅で負った傷を思い浮かべながら、それはお前もだろうと心で一人ごちて、ヴィルヴァーレは頷く。それに納得したのか、ヴァンは再び窓の外を見つめて、それから二人は日が沈むまでそこにいた。

***

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